あだたら登山学校・東北の山旅
東北の山旅と山岳ガイド// 〒969-1103福島県本宮市仁井田字下ノ原28-73 eメール yamatabi@cameo.plala.or.jp
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安部 孝夫
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JMGA/東北マウンテンネットワーク所属
特に自然豊かな東北の山岳をご案内いたします
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英国の女性旅行家イザベラ・バードの歩いた十三峠へ
■2021年11月15日(月)~16日:当校恒例の
「越後・米沢街道、十三峠」の足跡を辿る旅へ!!
既に2回実施して4つの峠を訪ねた・・・3回目です
イザベラ・バードは明治の初めに歩きや馬や牛の背に乗っ
たりしてこの峠を越えたんですね「スゴっ」
▼初日は山形県側から大里峠へ!
歩き出して間もなくブナ林に入るとおびただしい数の
クリタケを見つけた
▼キノコ採りは晩秋の山の醍醐味で全員でおすそ分け
▼大里峠近くなると伐り残されたブナの巨木が目立ちだす
▼ブナの森の中はぬかるみも多く難儀することもしばしば
▼県境に安置されている大里峠のお堂の前にて、ここ大里峠には
蛇喰い人妻伝説が残っている
▼峠から一段登り展望の良い送電線鉄塔基部まで往復してくる
▼展望台からエノカッチを眺める
▼峠から新潟側の畑方面へと下降してゆくが途中でナメコを
見つけてしまう
▼綺麗なまだ若いナメコ
▼峠と畑地区の中間位ある柄目木にはその昔茶屋があったという
▼下降途中の沢にかかる綺麗な二段滝
▼新潟県の関川村の畑地区側へと無事下山する
▼今回も常駐宿ともいえる梅花皮荘にお世話になった
▼二日目はグッと米沢へと近寄って宇津峠に向かう
▼イザベラバードが通った古道と近代道の分岐には親切に
道標が置かれてあった
▼古道と近代道の分岐
▼往路時にはイザベラバードが通った古道を行くが、途中にあった
切腹の松は何か謂れがありそうだ
▼さすが豪雪地帯、樹木がU字型になるほど根曲がりが
起きている(*_*)
▼林道跡から見晴らしの良い場所にて国道方面を俯瞰する
▼つづら折れ道に取りつく前に一休み
▼つづら折れ道を登りきると樹齢400年といわれる裸杉が現れる
▼裸杉の付近にあったツチアケビ
▼いかにも昔の街道の面影を残す裸杉と掘割の中間付近
▼掘割から宇津明神への登り口
▼米沢藩設置の介茶屋の跡の前のキタコブシの根元に
置かれていた湯殿山の碑
▼宇津大明神の石碑と道普請供養塔のある旧宇津明神境内
▼旧宇津明神境内跡の横に立つブナ巨木からパワーをもらう
▼掘割の中にある宇津峠の標柱あたりから戻り足とする
▼旧街道の横を飾るのは綺麗なムラサキシキブの実だ
▼英国の女流旅行家イザベラバードに東洋のアルカディアと言わしめた
米沢平野(置賜盆地)を眺望する
▼無事幅広道へと下る
▼落合地蔵尊に無事下山を報告しお礼の手を合わせる
*イザベラ・バードがこの峠を越えた記述には?
「きのうはとてもきつい一日で、主に二位、鷹の巣、榎の大峠を
よろけながら上がり、滑りながら降りて過ごした・・・・
馬のワラジは数分おきに紐がほどけ、1時間かけて進めるのは
1マイル(約1,6km)!!~」・・・・
とにかく140年も前の事ですから大変な事だったと
思います。
「越後・米沢街道、十三峠」の足跡を辿る旅へ!!
既に2回実施して4つの峠を訪ねた・・・3回目です
イザベラ・バードは明治の初めに歩きや馬や牛の背に乗っ
たりしてこの峠を越えたんですね「スゴっ」
▼初日は山形県側から大里峠へ!
歩き出して間もなくブナ林に入るとおびただしい数の
クリタケを見つけた
▼キノコ採りは晩秋の山の醍醐味で全員でおすそ分け
▼大里峠近くなると伐り残されたブナの巨木が目立ちだす
▼ブナの森の中はぬかるみも多く難儀することもしばしば
▼県境に安置されている大里峠のお堂の前にて、ここ大里峠には
蛇喰い人妻伝説が残っている
▼峠から一段登り展望の良い送電線鉄塔基部まで往復してくる
▼展望台からエノカッチを眺める
▼峠から新潟側の畑方面へと下降してゆくが途中でナメコを
見つけてしまう
▼綺麗なまだ若いナメコ
▼峠と畑地区の中間位ある柄目木にはその昔茶屋があったという
▼下降途中の沢にかかる綺麗な二段滝
▼新潟県の関川村の畑地区側へと無事下山する
▼今回も常駐宿ともいえる梅花皮荘にお世話になった
▼二日目はグッと米沢へと近寄って宇津峠に向かう
▼イザベラバードが通った古道と近代道の分岐には親切に
道標が置かれてあった
▼古道と近代道の分岐
▼往路時にはイザベラバードが通った古道を行くが、途中にあった
切腹の松は何か謂れがありそうだ
▼さすが豪雪地帯、樹木がU字型になるほど根曲がりが
起きている(*_*)
▼林道跡から見晴らしの良い場所にて国道方面を俯瞰する
▼つづら折れ道に取りつく前に一休み
▼つづら折れ道を登りきると樹齢400年といわれる裸杉が現れる
▼裸杉の付近にあったツチアケビ
▼いかにも昔の街道の面影を残す裸杉と掘割の中間付近
▼掘割から宇津明神への登り口
▼米沢藩設置の介茶屋の跡の前のキタコブシの根元に
置かれていた湯殿山の碑
▼宇津大明神の石碑と道普請供養塔のある旧宇津明神境内
▼旧宇津明神境内跡の横に立つブナ巨木からパワーをもらう
▼掘割の中にある宇津峠の標柱あたりから戻り足とする
▼旧街道の横を飾るのは綺麗なムラサキシキブの実だ
▼英国の女流旅行家イザベラバードに東洋のアルカディアと言わしめた
米沢平野(置賜盆地)を眺望する
▼無事幅広道へと下る
▼落合地蔵尊に無事下山を報告しお礼の手を合わせる
*イザベラ・バードがこの峠を越えた記述には?
「きのうはとてもきつい一日で、主に二位、鷹の巣、榎の大峠を
よろけながら上がり、滑りながら降りて過ごした・・・・
馬のワラジは数分おきに紐がほどけ、1時間かけて進めるのは
1マイル(約1,6km)!!~」・・・・
とにかく140年も前の事ですから大変な事だったと
思います。