あだたら登山学校・東北の山旅
東北の山旅と山岳ガイド// 〒969-1103福島県本宮市仁井田字下ノ原28-73 eメール yamatabi@cameo.plala.or.jp
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安部 孝夫
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JMGA/東北マウンテンネットワーク所属
特に自然豊かな東北の山岳をご案内いたします
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容易なハズの日本百名山の皇海山が困難な山に!!
■2024年6月13日(木)~15日:
容易なはずの日本百名山が最難関となってしまった皇海山(スカイサン)2,144m
にチャレンジ!!
今までは西側の栗原川林道を利用して入るのがチョー簡単だったが
約20kmにわたるガードレールも未整備なガタガタ道で、それがダメになり( ;∀;)
やむを得ず今回の銀山平からのコースとなった。
▼ゲートから車道を歩き出す
▼ゲートから舗装道を歩き出して間もなくの丸石沢の滝を眺める
▼初夏の道すがらを彩るコアジサイの群生
▼車道を約一時間余りで一の鳥居に着くここから山道の参道だ
▼参道には江戸時代からの丁目表示がなされており百十三丁目が
現れるとホットひと息だ
▼毎回毎回猿の軍団とお会いする
▼悲話を秘めた鏡石でほぼ参道の中間でベンチでひと休みだ
▼参道途中の夫婦蛙岩、果たしてカエルに見えるかな
▼百十三丁目表示と旧猿田彦神社跡が現れるとまもなく庚申山荘だ
▼岩山の庚申山を背に立つ庚申山荘
▼無人避難小屋である庚申山荘は傷みが激しく現在は利用禁止だ、残念
▼山荘を出ると間もなく大岩の基部をすり抜ける
▼山荘から六林班峠に向かい500メートルほど歩くと天下見晴の分岐に着く
▼ツツジの季節はもう終わりになっておりヤマツツジがわずかに咲いていただけだ
▼樹間から見上げた鋸岳
▼笹原とダケカンバやミズナラのコンビネーションが美しい樺平
▼木の根が岩に張り付いて見事な造形となっている
▼大きなつぶて岩が頭上にのしかかる沢を横切る
▼所によっては急斜面を横切るように伝ってゆく
▼花は少なく足元を飾るのはクワガタソウなどだけだ
▼ツツジの仲間は今年は裏年でシロヤシオはわずか数輪しか見られなかった
▼ようやく稜線の袈裟丸山連山が見えてきた袈裟丸山はピークがいっぱいある
▼庚申山荘も使えず本当に苦肉の策だ、稜線の六林班峠にテント泊とした
▼明日の登頂を祈願しカンパイ(^^♪
▼日の出前からテントを出発し稜線の女山付近で日の出を迎える
▼本日の第一の関門の鋸岳に到着、背後は目指す皇海山だ
▼鋸岳からはロープ下がる急な岩場を深く下降しなければならない
▼鞍部からほぼ小一時間ほどで大剣の前に出て緩やかに進むだけだ
▼ようやく念願の皇海山に到着です、お疲れさまでした
▼山頂を極めたら帰るだけだが帰路も長く険しい、特に鋸岳の幟返しは心がなえる
▼ようやく鋸岳の山頂まで辿り着いた、後は下降のみ
▼鋸岳から見た笹原の下降路稜線、先の山は袈裟丸山連山だ
▼六林班峠まで下りてきました、これからがまた長い
▼放射状に根を張るナツツバキ
▼カラマツ林まで戻ってくると庚申山荘まではもう少しだ
▼猿田彦神社跡からは参道をひたすら下降する、丁目石柱が励みになろう
▼薄暗くなってようやく一の鳥居まで下りてきた、後は4kmほどの車道伝いだ
▼ハ~ィ無事車止めゲートまで下りてきました、疲れたなぁ~( ;∀;)
▼今回二泊目は茶碗を置いてボタンを押すだけの自動ライス盛付け機が
完備された足尾の宿かじかにお世話になった
▼最終日、宿舎の足尾のやどかじかのお姉さんにお見送りをされて宿を後にする
▼せっかく足尾まで来ているのだから銅鉱山を見学して帰ることに、
▼レトロなトロッコ電車に乗って1200㌔㍍にも及ぶ坑道内の一部を見学する
▼コースには江戸時代から順に当時の様相が展示されておりこれは江戸時代の工夫だ
▼昭和に入ってからの展示物で我々にとっても懐かしいものが多かった
▼銭製造工程を再現した鋳銭座に展示されていた「和同開珎」
▼坑道の次は産業遺産の見学で精錬所のシンボルの大正八年に建てられた大煙突を眺める
▼帰路の通り道の日光名物の湯葉を買い求めてお土産とする
▼昼食は日光市街にてラーメンをすする
*いやはや長い距離お疲れ様でした。
容易なはずの日本百名山が最難関となってしまった皇海山(スカイサン)2,144m
にチャレンジ!!
今までは西側の栗原川林道を利用して入るのがチョー簡単だったが
約20kmにわたるガードレールも未整備なガタガタ道で、それがダメになり( ;∀;)
やむを得ず今回の銀山平からのコースとなった。
▼ゲートから車道を歩き出す
▼ゲートから舗装道を歩き出して間もなくの丸石沢の滝を眺める
▼初夏の道すがらを彩るコアジサイの群生
▼車道を約一時間余りで一の鳥居に着くここから山道の参道だ
▼参道には江戸時代からの丁目表示がなされており百十三丁目が
現れるとホットひと息だ
▼毎回毎回猿の軍団とお会いする
▼悲話を秘めた鏡石でほぼ参道の中間でベンチでひと休みだ
▼参道途中の夫婦蛙岩、果たしてカエルに見えるかな
▼百十三丁目表示と旧猿田彦神社跡が現れるとまもなく庚申山荘だ
▼岩山の庚申山を背に立つ庚申山荘
▼無人避難小屋である庚申山荘は傷みが激しく現在は利用禁止だ、残念
▼山荘を出ると間もなく大岩の基部をすり抜ける
▼山荘から六林班峠に向かい500メートルほど歩くと天下見晴の分岐に着く
▼ツツジの季節はもう終わりになっておりヤマツツジがわずかに咲いていただけだ
▼樹間から見上げた鋸岳
▼笹原とダケカンバやミズナラのコンビネーションが美しい樺平
▼木の根が岩に張り付いて見事な造形となっている
▼大きなつぶて岩が頭上にのしかかる沢を横切る
▼所によっては急斜面を横切るように伝ってゆく
▼花は少なく足元を飾るのはクワガタソウなどだけだ
▼ツツジの仲間は今年は裏年でシロヤシオはわずか数輪しか見られなかった
▼ようやく稜線の袈裟丸山連山が見えてきた袈裟丸山はピークがいっぱいある
▼庚申山荘も使えず本当に苦肉の策だ、稜線の六林班峠にテント泊とした
▼明日の登頂を祈願しカンパイ(^^♪
▼日の出前からテントを出発し稜線の女山付近で日の出を迎える
▼本日の第一の関門の鋸岳に到着、背後は目指す皇海山だ
▼鋸岳からはロープ下がる急な岩場を深く下降しなければならない
▼鞍部からほぼ小一時間ほどで大剣の前に出て緩やかに進むだけだ
▼ようやく念願の皇海山に到着です、お疲れさまでした
▼山頂を極めたら帰るだけだが帰路も長く険しい、特に鋸岳の幟返しは心がなえる
▼ようやく鋸岳の山頂まで辿り着いた、後は下降のみ
▼鋸岳から見た笹原の下降路稜線、先の山は袈裟丸山連山だ
▼六林班峠まで下りてきました、これからがまた長い
▼放射状に根を張るナツツバキ
▼カラマツ林まで戻ってくると庚申山荘まではもう少しだ
▼猿田彦神社跡からは参道をひたすら下降する、丁目石柱が励みになろう
▼薄暗くなってようやく一の鳥居まで下りてきた、後は4kmほどの車道伝いだ
▼ハ~ィ無事車止めゲートまで下りてきました、疲れたなぁ~( ;∀;)
▼今回二泊目は茶碗を置いてボタンを押すだけの自動ライス盛付け機が
完備された足尾の宿かじかにお世話になった
▼最終日、宿舎の足尾のやどかじかのお姉さんにお見送りをされて宿を後にする
▼せっかく足尾まで来ているのだから銅鉱山を見学して帰ることに、
▼レトロなトロッコ電車に乗って1200㌔㍍にも及ぶ坑道内の一部を見学する
▼コースには江戸時代から順に当時の様相が展示されておりこれは江戸時代の工夫だ
▼昭和に入ってからの展示物で我々にとっても懐かしいものが多かった
▼銭製造工程を再現した鋳銭座に展示されていた「和同開珎」
▼坑道の次は産業遺産の見学で精錬所のシンボルの大正八年に建てられた大煙突を眺める
▼帰路の通り道の日光名物の湯葉を買い求めてお土産とする
▼昼食は日光市街にてラーメンをすする
*いやはや長い距離お疲れ様でした。